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京扇子 大西京扇堂

日本文化の象徴ともいえる扇子、その美の技を未来へ。

株式会社 大西京扇堂

九代目当主

大西 庄兵衛 氏

Shoubee Ohnishi the 9th, Ohnishi Shoubee

代表取締役

大西 将太 氏

President, Ohnishi Shouta

天保年間(一八三〇年~一八四三年)創業。現当主は九代目を襲名。当時は屋号を大和屋と称し大和屋庄兵衛を名乗り、明治期になって「京扇堂」と改名。古くより東海道の終点三条大橋近くに位置し妙心寺、知恩院、南禅寺など各宗本山の御用達を務め寺院扇を納めるかたわら、内外観光客の多い立地のため舞や茶道、一般の扇子などあらゆる扇子を扱う。大西京扇堂オリジナル夏扇の「洛風扇」は気品あるデザインが好評。

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意外と知られていない「京扇子」の伝統を守り継いで。

[大西庄兵衛 氏]「京扇子」って何ですか?とよく聞かれるんです。扇子はそもそも京都で作られてきて、95%の扇子が京都でしか作ることができない。なぜなら昔も今も、職人が京都にしかいないからです。ですから、扇子といえばそのまま京扇子なのですが、京都の職人の手で受け継がれてきた技がなかなか証として出てこないですよね。その伝統を守る意味で、「京都扇子団扇商工協同組合」で「伝統的工芸品」の認可に取り組みました。そして特に大事な扇骨・扇面・仕上げを京都で製作しているものを「京扇子・京団扇」として登録されました。
今でも涼をとる夏扇を使う方が結構おられますが、扇子の歴史や種類などは知られていないんです。さらに扇子の構造や分業についてはほとんど職人の世界の内側にあって、色々な所でお話しますと、みな驚かれますね。骨(竹)を削ることろから、芯紙や地紙の和紙を仕入れて職人に卸す、扇面の絵付け・箔押しなど、手折り、最後に一つに仕上げるまでに大きく数えても20を越える工程を終え、ようやく一本の扇子になる。つまり、扇子というのは、一か所の工房で作られるのではなく、それぞれ専門の職人の工房で分業され、最終的にしっかりとした完成品になります。そのために、商品と販売を計画して工房を束ねる扇子製造卸という役割が必要で、うちもそのような店の一つです。今の時代に、一つの工程に一つの工房があるという、実に不合理にみえる製造形態には、伝統の品質を守るための理由があるのです。

日本の文化と結びついてこそ今に残る扇子。

[大西庄兵衛 氏]とはいえ、京扇子の多くの工房、職人も今では三分の一程度に減り、何十年とかかる技術の習得に向かう人も少なく、技術によっては残る最後の一人といった深刻な状況があります。たとえば、紙扇子は薄く削った骨を一本一本、芯紙を二枚にはがすように内側に差し込んでいくという繊細な作業なのですが、最高60本の骨のある扇子を差すことのできる職人はもう一人しかおられません。また扇面になる地紙では、雲母の粉を紙に散らして何層にも叩き、綺羅の紙を創る職人も最後のお一人で、残念です。
それでも、今なお扇子の製造は必要とされています。元は平安~鎌倉期に宮中で盛んに使われ、僧侶へ、芸事へひろがっていき、江戸期から一般の人々が使ってきた歴史があります。扇子は、そうした日本文化との結びつきにおいて今日まで残ってきました。うちでも、多くを納めさせていただいているところに社寺仏閣があります。有職扇(ゆうそくせん)や桧扇(ひおうぎ)など。そして、茶道、舞踊、能などの技芸にもそれぞれ伝統的な扇子の使用があります。
一般では、冠婚葬祭の祝扇や夏扇くらいしか習慣がなくなったかもしれませんが、古来、お宮参りから七五三、成人式、結婚式など人の成長を祝う扇子があり、今以上に人生の節目で扇子に願いが込められてきたものです。扇子は中国から渡ってきたとイメージする方も多いのですが、日本発祥の文化的工芸品です。今は観光で海外からの来客も多いですが、扇の形そのものに憧れがあるように見受けます。扇子は日本と日本文化の象徴といってよいのかもしれません。

「伝統は革新の連続」その本意で創る、扇子の美。

[大西庄兵衛 氏]今回のエントランスギャラリーのお話をいただいた時、モダンな現代の建築空間に、古典的な形と絵柄を大きくしつらえてみたいと思いました。以前から、ホテルのロビーなどに、新しい取り組みとして創ってみたいと思い描いていたのです。扇のフォルム(折っていない扇面)をそのまま使い、昔からある「扇流し」の形式で、四曲一双の屏風に扇面を散らして、それぞれ京の四季の風物詩を絵付け職人に描いてもらいました。そして、ガラス面にフィルムで水の紋を浮かび上がらせ、両側を几帳で彩って「京四季歳時記」と名付けました。扇面の紙は、雲母を引いた大変貴重な紙です。全体にも、細やかなところにも、訪れる方が心安らいでくださいますように。
[大西将太 氏]私が担当した作品は、もっとも古い紙扇形式とされる五本骨の「かわほり扇」のシリーズです。飾扇としては大振りなもので、大きさを生かして、知人の箔職人であり箔アーティストである米原康人さんとコラボレーションしました。伝統工芸士でありながら、金彩扇子作家として積極的に活動されている人です。実は今、ほんとうに美しい箔をほどこした扇子はほとんどなくなっています。そこで、箔をメインとした創作柄を、四季をテーマにデザインしてもらいました。父はよく「伝統は革新の連続」、その時に合ったものをしっかりと作っていくことが大事だと。その考え方から、今回の箔アーティストとの作品づくりにチャレンジできたと思います。米原さんも、箔の技術を未来へ引き継ぐために、作家活動をしていかなければいけないと言っておられて、このたびこの場を与えてくださり、今後を考えるよい機会になりました。見る人が自由にイメージをひろげてくださるよう願っています。

Collaboration 大西京扇堂の参加物件

ベラジオ 雅び 西大路高辻